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by under-heart
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長岡

新潟県に長岡市という所がある。

この土地で、幕末に「河井継之助」という男が生まれた。
越後長岡藩の家臣、知行は120石。
この男は雨の日の後の竹の子のようにめきめき出世をし、家老へと登りつめ、長岡藩の軍事を一手に引き受けるまでになっていく。

時代は開国か鎖国か、勤皇か佐幕か?
揺れていたが、継之助は揺るがず、近代合理主義を持ち、確かな先見性で自らの藩を改革し、わずか7万石の小藩を日本一の軍事国家に仕上げてゆく。

その先見性を有しながらも明治維新に立ち会わなかったのは、この男は自らの「立場」というものに重きを置いていたからである。
「長州(山口県あたり)は豊臣の時代からの雄藩だが、西軍に付いた為一本の矢を打つまでもなく徳川に敗れてしまった。その思いは東に足を向けて寝る程だろう。だが、長岡藩は違う。徳川の恩恵で今を築く事が出来ている」
河井継之助である前に、越後長岡藩の家臣としての自分を生きた為である。

時代は幕府が斜陽してゆく。
大政奉還となり、新政府が樹立するとまもなく旧幕府側と新政府との戊辰戦争がはじまる。
譜代である長岡藩に官軍は恭順、降伏を要求し、上級家臣がことごとくこれに賛成する中、継之助は一切自説を曲げず、藩論を押し切って「武装中立」を主張し、新政府と旧幕府の調停を申し出た。

しかし、談判は決裂。
中立和平を望んだ継之助であったが、官軍は、
「降伏し、会津藩討伐の先鋒にならなければ認めぬ」
一点張り。
この為長岡藩は蟻が象に挑む戦いで、長岡の地を焦土と焦がす事になる。

この男は、「英雄」と称えられる一方、墓を掘り返され墓石を壊されるほど、長岡の地で怨まれてもいた。

長岡という小藩に生まれた事が継之助にとって不幸であるし、長岡にとって継之助を生んでしまった事も不幸であったという。


「ドラマというのは、人がこうありたいと願い、その思いが強ければ強いほど、現実が希望と逆にすすんでしまう事である」
この様な意の言葉を、「夕鶴」という「鶴の恩返し」を基にした戯曲を書いた「木下順二」という劇作家が残した。


越後長岡で、旧長岡藩士高野貞吉の六男として生まれ、幼少時代に河井継之助の事を聞いて育ったのは、「山本五十六」である。
連合艦隊司令艦長として「真珠湾攻撃」を立案指揮した人物である。

先日、NHK番組「その時歴史が動いた」で紹介されていた。
以下、自らの稚拙な知識と、記憶に新しい番組内容を織り交ぜて紹介させていただく。

長岡中学校を卒業し、海軍兵学校に入学。
日露戦争を経験し、その後ハーバード大学へ留学。その明晰な頭脳の為「ロンドン海軍軍縮会議」の海軍首席代表に任じられる。
ここから、ドラマが始まる。

「米:英:日の軍艦保有比の条約は5:5:3である。これを対等に持ち込むように」
政府から山本に課せられた使命である。
しかし、米・英ともに頑として譲らない。
「交渉が望めない場合は、即刻脱会し、条約破棄とするように」
政府はこう命じたが、山本は決して交渉を決裂させたくなかった。
5:5:4で御の字。このままでも良い。条約破棄だけは避けなくてはならない。
政府側にも頼み込み、綱渡りの交渉が続く。

理由はこうである。
「この条約は米・英を有利にしているのではない。縛り、制限しているのだ。もし、この条約が破棄されてしまえば、軍事力は10:1以上に引き離されてしまう。日本はそれに気付いていない・・」
死ぬ気の交渉を続ける。

しかし日本政府は山本の主張を無視、帰国を命じ、交渉を破棄してしまった。

途方にくれた山本は帰路、
「海軍を辞め、博打打ちにでもなろうか・・」
と漏らしたという。

その後、時代は世界大戦へと近付き、日本は独・伊と三国同盟を結ぼうとする。
当時のドイツはその大きな軍事力で世界に名を轟かせていた。
日本はアメリカとの立場を対等に持ち込むため、ドイツと組み、軍事で睨みを利かそうとする。
その意見が国論として成立する中、山本は一人大いに反対した。

「今でさえ、物資を米・英に頼っているのに、これを切り、今後どう国を保つつもりか!」

二・二六事件や五・一五事件などの緊迫した時代の中、一人反論する山本の命は確実に狙われ始め、暗殺リストに名前が載っていたが、山本は遺書をしたため、覚悟の下、一人意見を譲らなかった。敵対するのではなく、あくまでも和平中立を望んでいたのである。

「国、大ナリト云エドモ、戦ヲ好マバ、必ズ、滅ブ」
しかし、山本の願い儚く、日本は三国同盟に加盟し、第二次世界大戦へと滑り落ちてゆく。

そして奇しくも、海軍の年季もわずかにせまり、おきまりのポストである連合艦隊指令艦長へ付いた(暗殺から遠ざけるためとの説もある)日に、ドイツがポーランドに攻め込んだのである。

山本はここでも一人、断固として和平交渉を叫んだが、国は総力戦へと決意が固まる。

山本は一人悩んだ。
国が愚かな選択を選んだ時に悩んだ。
一人「和平」を叫び続けた男が先頭に立って戦争を指揮せねばなぬ。
「山本五十六という一人の人間として生きるべきか」
「日本海軍、連合艦隊指令艦長として生きるべきか」

山本は「立場」を重んじ、日本海軍として命を懸ける。
圧倒的不利な立場から斬新な発想を駆使し、当時では重要視されていなかった飛行機を研究の末、最新鋭に仕立て、これに魚雷を付ける事よる攻撃に光明を見つけ、破天荒な戦術である真珠湾攻撃を立案するのである。

意図は、
「日米開戦と共に、米の軍事の要である真珠湾に大打撃を与え、アメリカ国民の動揺と不安を煽り、出鼻を挫き、短期決戦、早期和平を狙う。それが日米間における国力の差を冷静に判断した最良の案である」

しかし、結果その作戦は、日本の地を焦土と焦がすことになる。


人間には「土」の匂いが付くという。
生まれた土地の匂いは消そうとしてもなかなか消せるものではないと言う。

それが立場というものになり、人間の生き方を決めて行くという流れは強いだろう。

その立場の為に、こうありたいと願い、その思いは強く、その信念ままに生きた時、現実が希望と逆の選択を示し進んでしまう。

その時どう生きるべきなのか。


また、長岡の地で田中角栄が生まれるのはまだ先の話であり、また別の話である。


追記:13日の明日、午後10時より「そのとき歴史が動いた」において山本五十六(後編)が放送されます。
by under-heart | 2006-12-12 15:02 | at a loss