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イン ユー テロ

「テロワール」

という用語がワインにはある。
日本語訳を独訳すると「土地の個性」といった感じのものである。

ある地方ではとてもテロワールが大事にされ、価値が生まれる。

つまり、たとえば同じ木を植えたとして、

土地の個性

つまりこの区画、畑では土壌、傾斜からくる水はけ、日照時間、気温、地形、標高などなどの様々な要因から、出来上がり、完成されるワインの味わいが異なるのである。

もちろんそれには醸造技術や人の手の力も加わる。

しかし、土地には「個性」がある。

信じる信じないは別。ワインとあなたの歴史を比べても意味ないし、無理に信じても意味ない。飲んだって簡単にわからない。事実あたしも全てを把握できてない、当然ですが。

でも、ワインの世界には、そんな、あたしには神秘というか、奇跡な考え方がある。

あたしが音楽でロックと呼ばれる分野を好きなこともこのテロワールの思考と似通っている。

わかりやすいのが、ロックの中でオルタナティブと言われる分野があって、日本語訳では二者択一のとか言われるが、つまり、唯一無二の、代えが効かないとあたしは考えている。

つまりは、絶対的な個性。アイデンティティーの確立。

ニルヴァーナでなければスメルズライクは成り立たないし、ピストルズでなければアナーキーはありえない。

絶対に代えが利かない。

時代と世界が認めた確固たるカリスマ性、神秘、奇跡。

そういう考えの元、あたしは音楽とワインが好きなのだ。


ワイン作りでは、そのテロワールを大事にしようと思うと、最大限個性を反映できるように作り手も苦労する。
だから、素晴らしい。
自分たちの個性を世界に表現するわけだ、持って生まれた、持っている潜在能力を最大限生かす努力を惜しまず表現する。
あたしにとって、それ以上素晴らしい生き方はない。

ブライアンジョーンスは自らの音楽的才能を伸ばすために極寒の中、指先から血を流しながら練習し、手を温めた。

どれほどの水を注げば、どれほどの日を当てれば、どれほどの除房を行えば、予期せぬ悪天候に見舞われるかもしれない社会の中で納得いく自分を表現できるか?

それはこれから自分で確かめるしかないようです。


タイトルはニルヴァーナですが、お前の中のテロワールという勝手な語呂あわせ。
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by under-heart | 2009-02-07 01:10 | by the wey

ご近所ものがたり

「組」というご近所付き合いの割り振りが昔からある。

自分が属しているご近所は「組内」
お隣の組は「隣組」
冠婚葬祭などの時には組からのお手伝いが出る。

あたしの組内で先日におばあさんが亡くなった。
「長生き」と「長寿」」は違うそうで、「長生き」というのは寝たきりでも生き長らえているご老人を指し、「長寿」というのはピンコロ、つまり、ピンピンしてたと思ったらコロっと逝ってしまったお歳を召したご老人。長く寿く事だそうである。
このおばあさんは「長寿」にあたり、90歳になる頃でも店先でレジ打ちなどの接客をしていたそうだ。

今日の朝からあたしは喪主の家へ出向き、組内の手伝いとして「お配り」という”ご近所に逝去の知らせと通夜と葬式の知らせを引き出物を持って回る”ことを行ってきた。
引き出物とは普通は香典返しとしてもらったりするのだが、この地域では近所の方のみにはあらかじめお知らせと共に配り、貰った方はその中身により香典の中身を決めたりする。
初めてご近所を隈なく回ってみると以外と名前と家が一致しないところも多く、一緒に回っていただいたご近所の諸先輩に家と家主とその親戚関係の自宅をご講義いただきながら眺めると、これはこれでひとつの立派な地理であり、歴史が出来上がる。

地理は歴史である、と言った方がいたが、まさにその通り。
上杉謙信は地理の為に天下を取れず、薩摩藩は地理の為にイギリスと手を組めたとも言われる。
中東情勢も地理が大いに絡み、エルサレムの地は歴史を大きく変えた。

話は大袈裟ととるべからず、どのご近所でも血と地が絡み、因果の元に人間が住み暮らしている。それはひとつの世界の縮図にたがいないのである。
栄枯盛衰があり、死して空き家出来れば産まれ新居もできる。新参者も出てゆくものも出戻りもいる。どこどこのだれだれは何をしているのか?そんな話は当人が産まれ育った証であり、やはり人は土地の匂いが付き、立場に生かされている。

「ご近所」なんていう古臭くて泥臭くて照れ恥ずかしく、面倒臭いような言葉の中には多くの人間の生臭い絡み合いのもと、時間を越えてそれぞれがそれぞれに生かされている意味を含むものなのである。
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by under-heart | 2007-01-12 19:58 | by the wey

不思議なちから

今日の朝日新聞の記事

金はなぜ金色なのかとの疑問を解明するなかで、それは光の反射により、色と輝きから成るそうで、金は「赤から黄、橙色、緑」を良く反射し、それが混ざって金に見えるそうです。
なので、場合により、
コロイド微粒子では赤に見え、粒子を大きくすると紫、厚さ一万分の一の金箔に強い光を向こう側がすけるほどに当てると青緑色が浮かぶそうです。
すずや銅などを混ぜると独特の色合いで、ピンク、ホワイト、イエローゴールド。お好みなら紫ががった金、緑の金が作れるといいます。

しかし、美しいのはやっぱり金色と住友金属鉱山の中里見さん。
商談の席で、純金の地金を手に取ったらどんな資産家も、かなり気難しい人も表情が明るくなる。
と。

「黄金の輝きには、人間のDNAに働きかける不思議な力があるようです」

なるほど~。
その力は、スキヤキとか、ものすごい美女とか、ラブレターとか、温泉とか人それぞれにも様々あるようで、神様がくれた人類への贈り物なのかもしれません。
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by under-heart | 2007-01-07 22:26 | by the wey

長岡

新潟県に長岡市という所がある。

この土地で、幕末に「河井継之助」という男が生まれた。
越後長岡藩の家臣、知行は120石。
この男は雨の日の後の竹の子のようにめきめき出世をし、家老へと登りつめ、長岡藩の軍事を一手に引き受けるまでになっていく。

時代は開国か鎖国か、勤皇か佐幕か?
揺れていたが、継之助は揺るがず、近代合理主義を持ち、確かな先見性で自らの藩を改革し、わずか7万石の小藩を日本一の軍事国家に仕上げてゆく。

その先見性を有しながらも明治維新に立ち会わなかったのは、この男は自らの「立場」というものに重きを置いていたからである。
「長州(山口県あたり)は豊臣の時代からの雄藩だが、西軍に付いた為一本の矢を打つまでもなく徳川に敗れてしまった。その思いは東に足を向けて寝る程だろう。だが、長岡藩は違う。徳川の恩恵で今を築く事が出来ている」
河井継之助である前に、越後長岡藩の家臣としての自分を生きた為である。

時代は幕府が斜陽してゆく。
大政奉還となり、新政府が樹立するとまもなく旧幕府側と新政府との戊辰戦争がはじまる。
譜代である長岡藩に官軍は恭順、降伏を要求し、上級家臣がことごとくこれに賛成する中、継之助は一切自説を曲げず、藩論を押し切って「武装中立」を主張し、新政府と旧幕府の調停を申し出た。

しかし、談判は決裂。
中立和平を望んだ継之助であったが、官軍は、
「降伏し、会津藩討伐の先鋒にならなければ認めぬ」
一点張り。
この為長岡藩は蟻が象に挑む戦いで、長岡の地を焦土と焦がす事になる。

この男は、「英雄」と称えられる一方、墓を掘り返され墓石を壊されるほど、長岡の地で怨まれてもいた。

長岡という小藩に生まれた事が継之助にとって不幸であるし、長岡にとって継之助を生んでしまった事も不幸であったという。


「ドラマというのは、人がこうありたいと願い、その思いが強ければ強いほど、現実が希望と逆にすすんでしまう事である」
この様な意の言葉を、「夕鶴」という「鶴の恩返し」を基にした戯曲を書いた「木下順二」という劇作家が残した。


越後長岡で、旧長岡藩士高野貞吉の六男として生まれ、幼少時代に河井継之助の事を聞いて育ったのは、「山本五十六」である。
連合艦隊司令艦長として「真珠湾攻撃」を立案指揮した人物である。

先日、NHK番組「その時歴史が動いた」で紹介されていた。
以下、自らの稚拙な知識と、記憶に新しい番組内容を織り交ぜて紹介させていただく。

長岡中学校を卒業し、海軍兵学校に入学。
日露戦争を経験し、その後ハーバード大学へ留学。その明晰な頭脳の為「ロンドン海軍軍縮会議」の海軍首席代表に任じられる。
ここから、ドラマが始まる。

「米:英:日の軍艦保有比の条約は5:5:3である。これを対等に持ち込むように」
政府から山本に課せられた使命である。
しかし、米・英ともに頑として譲らない。
「交渉が望めない場合は、即刻脱会し、条約破棄とするように」
政府はこう命じたが、山本は決して交渉を決裂させたくなかった。
5:5:4で御の字。このままでも良い。条約破棄だけは避けなくてはならない。
政府側にも頼み込み、綱渡りの交渉が続く。

理由はこうである。
「この条約は米・英を有利にしているのではない。縛り、制限しているのだ。もし、この条約が破棄されてしまえば、軍事力は10:1以上に引き離されてしまう。日本はそれに気付いていない・・」
死ぬ気の交渉を続ける。

しかし日本政府は山本の主張を無視、帰国を命じ、交渉を破棄してしまった。

途方にくれた山本は帰路、
「海軍を辞め、博打打ちにでもなろうか・・」
と漏らしたという。

その後、時代は世界大戦へと近付き、日本は独・伊と三国同盟を結ぼうとする。
当時のドイツはその大きな軍事力で世界に名を轟かせていた。
日本はアメリカとの立場を対等に持ち込むため、ドイツと組み、軍事で睨みを利かそうとする。
その意見が国論として成立する中、山本は一人大いに反対した。

「今でさえ、物資を米・英に頼っているのに、これを切り、今後どう国を保つつもりか!」

二・二六事件や五・一五事件などの緊迫した時代の中、一人反論する山本の命は確実に狙われ始め、暗殺リストに名前が載っていたが、山本は遺書をしたため、覚悟の下、一人意見を譲らなかった。敵対するのではなく、あくまでも和平中立を望んでいたのである。

「国、大ナリト云エドモ、戦ヲ好マバ、必ズ、滅ブ」
しかし、山本の願い儚く、日本は三国同盟に加盟し、第二次世界大戦へと滑り落ちてゆく。

そして奇しくも、海軍の年季もわずかにせまり、おきまりのポストである連合艦隊指令艦長へ付いた(暗殺から遠ざけるためとの説もある)日に、ドイツがポーランドに攻め込んだのである。

山本はここでも一人、断固として和平交渉を叫んだが、国は総力戦へと決意が固まる。

山本は一人悩んだ。
国が愚かな選択を選んだ時に悩んだ。
一人「和平」を叫び続けた男が先頭に立って戦争を指揮せねばなぬ。
「山本五十六という一人の人間として生きるべきか」
「日本海軍、連合艦隊指令艦長として生きるべきか」

山本は「立場」を重んじ、日本海軍として命を懸ける。
圧倒的不利な立場から斬新な発想を駆使し、当時では重要視されていなかった飛行機を研究の末、最新鋭に仕立て、これに魚雷を付ける事よる攻撃に光明を見つけ、破天荒な戦術である真珠湾攻撃を立案するのである。

意図は、
「日米開戦と共に、米の軍事の要である真珠湾に大打撃を与え、アメリカ国民の動揺と不安を煽り、出鼻を挫き、短期決戦、早期和平を狙う。それが日米間における国力の差を冷静に判断した最良の案である」

しかし、結果その作戦は、日本の地を焦土と焦がすことになる。


人間には「土」の匂いが付くという。
生まれた土地の匂いは消そうとしてもなかなか消せるものではないと言う。

それが立場というものになり、人間の生き方を決めて行くという流れは強いだろう。

その立場の為に、こうありたいと願い、その思いは強く、その信念ままに生きた時、現実が希望と逆の選択を示し進んでしまう。

その時どう生きるべきなのか。


また、長岡の地で田中角栄が生まれるのはまだ先の話であり、また別の話である。


追記:13日の明日、午後10時より「そのとき歴史が動いた」において山本五十六(後編)が放送されます。
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by under-heart | 2006-12-12 15:02 | at a loss

オレタチフューチャー

県の国立大学医学部で、学生による企業へのプレゼンテーションがありました。

製薬会社から町工場まで、中小企業、大企業含めてのその会は、医学部側から今後の医療の発展を見据えた「こういうものがあったら便利」商品の提案でした。

聞いた話を要約するに、
「パソコンへ『患者の年齢や性別』といった一般情報と、『患者の体質や体温、血圧』などの症状の情報を入れると、患者の病名と措置方法、適応する薬が表示されるソフトを開発していただきたいのです」

・・・・・。

医者いらねえじゃん?



「こんなこといいな。出来たらいいな。あんな夢こんな夢いっぱいあるけど」

アニメ「ドラえもん」の主題歌の一部です。
ドラえもんが生まれるのは22世紀ですからまだしばらく先の話ですが、藤子不二雄が夢見たであろう21世紀という未来にあたし達は生きているのです。

過去に夢であった月面に人類が到着し、結核に対する抗生物質が発見され、テレビ電話は普及し、クローンが誕生し、インターネットで世界と通じる事が可能となりました。
「医学部の学生達の考えはね、ドラえもんの道具を出してくれと言うような発想なんだよね」
と、あたしにお話してくれた方の声ですが、
これには二通りの解釈が出来て、

ひとつ目は、ドラえもんの道具を作る事を真面目にプレゼンテーション出来る時代になったと言う事。つまり、昔では夢物語だった道具が、技術の進歩により発明可能と思わせる域に時代が追いついて来たと言う事。

ふたつ目は、未来の想像図がドラえもんの域を超えていないと言う事。つまり、1970年に連載が始まって以来、時代は進み未来へと確実に歩んで来たが、あたし達の想像力はドラえもんを超える事が出来ないでいる、と言う事。

一つ目についてはポジティブな意見でよろしおますが、ふたつ目については大変に問題であろうと感じます。
今、この時代においても、想像する未来の世界が、

『円錐形のメタリックなビルが立ち並び、空中を縦横無尽に半透明の筒がぐるりと配置され、その中を卵型の乗り物がすいすいと進み、ツインビーの様な小型飛行機が飛び交っている。人々は宇宙服と呼ばれる、戦隊ヒーローのヘルメットを取った様な服を着て、プシューと音がする自動ドアの中に入ってゆく』

少なくとも、1970年には感じなかったリアリティーが、未来へのリアリティーが現代にはある。
その現代においても未来の想像図を改築しないのは(おそらく出来ないのか?)、ただの怠惰か逃避でしょう。

なぜ未来を夢見る事から逃避などする必要があるのか?
それは、21世紀の現実は思っていたより夢が無かったらです。

宇宙という遥かなる可能性に夢を託した輝かしい未来とは裏腹に、日本は日本のまま、ますます汚れ、資本主義に基づいて町並みが作られます。
不景気に煽られ不正問題が次々に発覚し、格差は一層深くなり、人と人との当たり前に見える関係は崩れ、家族殺人やいじめ自殺などが大きく問題視されています。

これでは、たしかに、30年前からの輝ける未来の姿を見据え、ドラえもんに夢を託し逃避している方が楽です。いつか、あんな未来がやってくるんだろうな、と。

しかし、それは正しい未来でしょうか?


司馬遼太郎が「21世紀に生きる君たちへ」という、小学生の教科書へ、初めて子供へ向けて書き下ろされた随筆があります。

その文章の中で、
「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。君たちは、ちがう。」


藤子不二雄が描いたドラえもんの未来、手塚治虫が描いた永遠の未来、大友克洋が描いた機会都市の未来、武論尊・原哲夫が描いた荒廃した未来、宮崎駿が描いた荒廃後の未来、水木しげるが描く死後の未来。


その現実を見据え、あたし達はどの様な未来へ進んで
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by under-heart | 2006-12-08 22:58 | at a loss

貧相なブリ子

友人が犬を飼い始めました。
なんだか「ブルドック」と「なんたらテリア」(ロッテリアではない)みたいな犬の交配種で、チビッコイ、脂の乗りが悪そうなやせこけた犬なんだが、可愛い。

メス犬なので「抱かせてホイホイ」と願ったのだが、ウチに犬を飼っている事が原因で抱かせてくれない。
どうやら「病気の予防注射」を行う前に他の犬の菌が移ると困るそうだ。
あたしは毎日犬と戯れておりますから、犬の病気を運んでいる可能性があるとか?

哀れ、我が家の駄犬は小娘犬の前で「病気持ち」の嫌疑を受けてしまったようです。
そして、それを運ぶ飼い主のあたし。
なんだか女房が売りの貧乏な売春宿の様です。
世も末ですなぁ。

しかし、いかんのが、この貧相なメスブルテリア(以後「貧相なブリ子」)は前述のように「ブルドック」と「なんたらテリア」の交配種ということで、将来、脊髄に病気を持つ可能性があるのだとか。
まったく、どういう訳だか、人間様は勝手なことをなさる。
ついこの間も広島の犬のテーマパークが放置されたまま問題になった事件があった。
世も末ですなぁ。

ところでこの貧相なブリ子を飼い主はたいそうお気に入りでして、彫りの深い猿の様な顔をしながら「がわい゛い゛いー、飼い主に似ずんだでー」などと頬擦りをしている。
そのままでは良くて猿、悪くて飼い主に似てしまうかわいそうなブリ子なのですが、どうやら、犬は生物学的に見ても飼い主に似るらしいのです。

なぜなら犬は自分の姿を認識することが出来ず、毎日見る飼い主の顔と姿を自分の姿だと思い込むのだからだそうです。
確かに犬は自分の姿を鏡で見る事はないでしょうし、誰も姿形を教えてくれる対象はいないでしょう。

イソップ童話でも、肉を咥えて川を覗く犬が、川面に映った自分を見て、
「あの野郎、いい肉持ってやがるな」
と、欲を出したばかりに、奪い取ろうと口を開けた弾みに咥えていた肉を川に落としてしまうという寓話があります。

ここでも、犬は犬を自分だと認識できません。
まぁ、そこまでイソップが知っていたかどうかは知りませんが、やはり、犬は自分を犬と認識できないのでしょう。例えば、犬が発情するのはメス、もしくはオスの匂いであり、姿形ではないのです。
そういう訳で、犬が自分の姿を飼い主と同様と思い込む事により、成長と共に容姿がうっすら浮き上がるのだそうです。

驚く事に、これは人間でも同様の現象は見られるのだそうで、男性が母親に似ると言われるのが多いのは幼少の頃から抱くマザーコンプレックスという母への敬慕の眼差しからで、女性はその逆だそうです。
やはり、性の本能が異性の親を憧れの対象として自然と見てしまうのだそうです。



なーんて事を本日鼻毛を抜きながら自分勝手に出鱈目てみました。
信じた?
信じた?
世も末ですなぁ。
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by under-heart | 2006-11-22 23:27 | by the wey

種蒔き

我が家では「仏教」ではなく「神教」で冠婚葬祭が行われます。

例えばお葬式などがあると、お寺の坊さんがお経をあげるのではではなく、神社の神主さんが祝詞を読む。お線香でもなく、玉串(サカキなどの常緑樹の小枝に紙垂をさげたもの)を使用します。
そして、仏教では四十九日という行事がありまして、この日を境に死者の魂は輪廻転生されるといいます。神教では三十日祭と言いまして、この日を境に魂が天上界に召される。
この日まではご霊前で拍手の音を立ててはならず、それは魂が音を聞いて戻ってきてしますからと言われています。

あたしの大祖母に当たる方、104歳で大往生をなされた方の三十日祭が本日行われました。
その大祖母を中心とした親戚一同が集まるのですから、それは大きな「生きた家系図」が出来上がるのです。

変な話で、どこの家庭もそうでしょうが、御多分に漏れず我が家庭でもこういう機会ではないと親戚一同が揃うことはなく、なんとなく決まって、それぞれの夫婦の馴れ初めや、子供の進路の話題などが語られるのです。

眺めると不思議に、顔も知らないような方たちが打ち解けて話しをしている。
104歳と云う大往生をなさった大祖母という人は、親戚を広く、とても広く繋げた。
血のつながりという奇妙な縁を、時代を超えて広く繋げた。


その行事中、宮司様とお話をする機会がありました。
「じゃあ、もうこちらへ戻って、御家を継ぐのかな?」
「恐らく。ただ、今は継ぐというよりも母を助けるといった意識の方が優先されいるんです」
経営状況やらこの業界の情勢やら、父の遺言を考えると素直に「継ぐ」と判断を下せない自分がいました。

「宮司さんは家督を継ぐ事を早い内から決めていたのですか?」
「僕は、継ぐ気がなかったのですね。長男として小さな頃から親の仕事を継ぐ事の期待を受けてると、若いし、反抗したくなったのでしょうね。絶対に継ぎたくはなかったのですね。大学を卒業するくらいかな、あれだけのお社だしね、もったいないという気もあったのでしょうね」

「これからは、わかりません。息子が今大学で勉強していますし、継いで欲しい気持ちはあります。しかし、私たちは『祝詞』が命で、これが、これからどれだけ必要とされるか。この時代では、好きな事を出来て、暮らせてゆける事が幸せなのかもしれません」


大祖母は家業を営み世代を超えて大きな繋がりを残し、この世を去った。

その繋がりの末端にあるあたしが、この世を去る時には、どこでどうなりどのように人が繋がっているのだろうか。
今日、その道の上に歩いている事を気付かされた気分でした。
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by under-heart | 2006-11-21 19:48 | by the wey

氷山の一角

「えびす講」

商家が旧暦の10月20日に商売繁盛を祈り恵比寿様を奉る催しがあるんです。
当家でも先日、一日早いのですが、日曜日という中で人が集まった事もあり、例年の行事を行いました。

この日より恵比寿様(当家では大黒様も奉る)が当家にお帰りなさって、正月まで滞在。
あたくし達は一年の働きをご報告して、一月にまた、働きに出る恵比寿様をお見送りする。
「また今年もひとつ、よい稼ぎを」
そんな事をお祈りする。
上記の通り、商売繁盛を、こ、こ、ろ、か、ら!願う。

これ、大事です。

と、言う訳で、
昨日はささやかに豪華なお食事をしたのですが、その後、妹がピアノを弾き、その友人がトランペットを吹くというパフォーマンスを見せてくれました。

連日の疲れが出たのか、うとうとと聞いていると、
「トランペットはいい楽器だなぁ」
と、思うと同時に、おかしい事に気づいたのです。

あたしはトランペットという楽器を知っていますし、見た事があります。
音だって今までに幾度となく聞いた事があります。
でも、それは写真やテレビやスピーカーの中からの「お話」。

生の音を聞くのはおそらく10年以上前の事です。

何が言いたいか?

あたしは北極に行った事がありませんが、氷山が欠落するのを見た事があります。
宇宙へ行った事はありませんが、地球を見た事があります。
生まれる前ですが、江戸時代の街並みを見た事があります。
戦争を見た事があります。

これって、おかしいと思いませんか?
富士山を初めて見る前から、富士山を知っていて、
「やっぱりこの形」
「やっぱりでかい」
「やっぱり」
なんて心の隅で思うのはおかしいでしょう?

レンタルビデオで映画を見た気になられちゃ困るんですよ。
スピーカーだけの世界で音楽を聴かれちゃ困るんですよ。

と、言う「視点」を持てる、持てない、持たない、持とうとする。
正解はありませんが、「持つ」事は今のご時世大変難しいと思います。
あたし達はあまりに知りすぎているからです。
自分の眼を厳しく疑い、同時に信じる。
そんな面倒な事する人はあまりいないでしょう。
しかし、残念ながらあたしは「持たない人」とはしゃべれないでしょう。
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by under-heart | 2006-11-20 23:38 | by the wey

メガネ、メガネ、

例えば、加藤ローサを「可愛ええのぅ・・」とうっとりしたとします。

というか、もう、うっとりしました。手遅れです。

そこで「思いて学ばざる」はあやうしなので、個人的に簡潔に即興的に学ぶ事にします。
「なぜハ-フは可愛ええのか?」
例えば、土屋アンナや梅宮アンナ、ベッキー、ピーターなど。
男性方でもハーフは「ええ」のではないかと思われます。
例えばウエンツ瑛士、やダルビッシュ。イケメンと評価高い速水もこみちも、モコミッチと読めば、ストイコビッチの如くロシア系かと推測されます。あと、ピーターなど。

ハーフの魅力としてどうしてもあたしが思ってしまうのは、あたしは小心者だから、ネイティブな外国の方に対して、文化の違いによる意思疎通の不便さからどうしても畏まってしまう。それがハーフとなると、日本の面影を垣間見れる分、親しみのある雰囲気に安心してしまうのです。
いったいこれはなんだろな?と。

思うに、
今でこそ宅配ピザは世間の知る人気フード店となっておりますが、以前にこの職種を初めて興した方(dominoピザだったかな?)は大変苦労したそうな。それは本場イタリアのネイティブピザを出したトコロ、ぜんぜん人気が上がらない。
日本人の口に合うように改良に改良を重ねて日本味ピザを作り、苦労の果てに今の地位を得たそうです。
それに同様、皆様うすうす気づいてはいらっしゃるでしょうが、現代の日本のカレーもご当地インドとはかけ離れたモノになっております。
それが、アフリカ原住民訪問番組などで、タレントがカレーを作り、祖国日本の味としてご馳走するほど定着しています。
それは、日本人に合う庶民の味覚の代表としての地位を確固たるものにした結果でしょう。

どことなく、それと同様で、ハーフの方の日本ナイズ化が、心安くあたくしをうっとりさせているのかもしれません。
もともと日本は文化の模倣上手であり、様々に日本ナイズしてきた訳でして、お上品に考察すると、実はこの「うっとり」という「美意識」も舶来され日本ナイズされているのです。その元となった西洋の美意識の根源は「左右対称」という概念のもと、古代ギリシャの彫刻むにゃむにゃ。


それはそれで皆様お綺麗ですのでよろしいのですが、ニーズに合わせ、日本の標準を大衆に近づけていかれている事に、危機感を感じる時もあるのです。

今の日本で憂いております「ニーズ近似値結果」として、今の日本のポップ音楽、あれ、ラップなんですか?レゲエなんですか?どうなんですか?勘弁してくださいよ。

また、テレビドラマの女優さん達は、女優じゃないよね?モデルやアイドル出身のシャンソン人形が踊っているだけじゃあないの?可愛いけど、おいおい?

そこんとこあたり、どーなのよ?と。

メガネってえのは、目が悪い人の為にあるもので、目が良い人がつけると、そのレンズにより、逆に悪くなってしまいます。

お分かりか?

だが!
後者にいたってあたくしはとても判断に難しく、立場も難しく、困っております。
日本の女性ってのは、思うに、男性の美意識の鏡でしょう?
オサレをするのも、美女がテレビに出るのも男性の美意識の反映の姿でしょう?
それを知るからこそなおさら、いじらしく、弾劾する気がおきない。

「こんにちゎ~、今日ゎ朝からぁめが降ってて、寒ぃデスよぉ~」
こんな頭空っぽな文字を使うが、可愛いので許す。
コリン星?うむ、許す。

そんなあたしのレンズの度数が強すぎで、前が見えない・・・。
「メガネ、メガネ、」
「掛けとるやないけー!」
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by under-heart | 2006-11-19 07:58 | at a loss

樽の中の魚①

むかーしむかし、あるイベント会社でお仕事をさせて頂いている時の事でしたぁ。

そのイベントの一部として子供向けの’にぎやかし’に「黒髭危機一髪」を使用し、黒髭の部分にイベント発注会社のマスコットを配置する、というものを行っておりました。

群がり、膝を擦り剥き、鼻汁を垂らす子供達の世話をする上品なお仕事を華麗にこなしながら、あたくしは連中に対して一つ気の利いたジョークを、

「この樽の中には魚が入っててね、剣で突付いて魚に当てるとびっくりして暴れるから、この黒髭が飛び出るんぜよ」

すると子供達はいっせいに剣の刺し穴を覗きはじめるではありませんか。
「まことに愚かで滑稽な生き物ですなぁ」
などと高笑いをきめていると、どこからともなく、

「いた!」
「うそうそ?」
「ほんと!ここ!ほら」
「えー?どこどこ?いないじゃん」
「ほんとだ!こっちだ!なんか光った!こっち!」
「あ!いた!動いた!」

四、五人の子供が餌に群がる鳩の様に黒髭樽に頭をねじり込んでいます。
「おいおい、そいつぁ、反対側から覗いてるヤツの眼なんじゃねぇの?眼なんじゃねぇの?もう一度言うが、眼なんじゃねぇの?はっきり言うが、大変だから。なんか見えちゃったら、もう、大変だから」
と心で復唱し、顔で復笑しながら、あまりに若くして「キマって」しまったかもしれない、樽の中の魚よりも不思議な生き物を観察しておりました。

しかし、この光景。以前どこで見たことがあるような・・。


それは約二十年の時を遡った、鼻汁を垂らし膝を擦り剥き、染みの付いたシャツを着て片目の取れかけたコアラのパペット人形を持ち、晴れの日も長靴を好んで履いた、幼稚園に上がる前の上品な子供の時のあたくしでした。

東京に親戚があり、良く遊びに連れて行かれた時の事。
デパートに行く時等、大抵の場合、うるさく小汚いお子様共は屋上の遊戯場や一階ロビーにある待ち合わせスポットなどで放置されていました。
あたはくしそのような下品なお子様ではありませんでしたが、共に歩く親戚の子供筋が例にならったお子様でしたので、不服ながらも同様の扱いを受けていました。
一番のお気に入りは三越の玄関に構える「ライオン」の置物の上へ放置だったことを今でも思い出します。

そして、その放置場所には必ず「噴水」がありました。
その噴水のロマンティックに自在な変化と発色に打たれたあたくしの子供心は、口の閉じるのと鼻汁をすするのを忘れるほど感激しておりました。
するとどこからともなく、

「魚がいた!」

その一報を聞くや、あたくしの童心は背骨に雷が抜け落ちる程の衝撃を受け、
「ステキ!」
と、声にならない感動を胸に、放置されたみなし児達と一致団結、噴水の中を焦がす程に覗きはじめるのでした。
それはそれは上記のお子様連中と同様に、

「光った!」
「ここ!」
「いた!」

などと、塩素消毒の固形薬が溶け切らない程に飽和された、「チェルノブイリに人がいた!」なとと言うに近い魚の環境下な噴水の中で「樽の中の魚」を見つけていたのでした。

そしてあたくしは、非常に諦めの悪い、・・・・まぁ、ガキでした。


里親、もとい、親戚のご両親がお迎えにあがった時、噴水から離れる時に、
「ああ、魚見たかったな・・」
とは思わない。
「あー、魚を見れて楽しかった」

そう、見ていませんよ。見ていませんけれども、
「魚がいた!」と言う誰かの一声と、
「何かが光った」のを水面に見る事は、
それが水面の光であろうと何であろうと、あたくしに魚を認識させるのに十分な証拠になりました。

置物の「ライオン」の上に登った時も、
「ねぇ、今動いたよね?」
「え?待って、あ!動いたかもしんない!」
終いには、
「だって、ちょっと、咬まれたもん!いま!」
って、おいおい、という。

幼稚園の時のプールなどでも同様な心持でした。
が、が!ですよ!
時代が必要としたのか、このご時世には夢もへったくれもない、「理想郷なんて馬鹿げている、僕は君達が旗を掲げて理想を語る間にペンを走らせ、確実にお受験で登り詰め、人生の勝ち組になるのさ」なんていうリアリズムで保守的なニヒリストが現れ、
「ばっかじゃねー!魚なんかいる訳ねーじゃん!」
などと、(魚はいるのに)根も葉もない(魚はいるのに!)まったくの絵空事を発し、愛と夢を踏みにじる決戦の火蓋を切って落とすのです。
そんな時、思う事はいつも、
「この水を全部抜いたら、魚がを捕まえられるし、ぎゃふんと言わせる証拠になるんだけど・・」
と遠い眼をしていた時の事。

夏が終わればプールの水を抜くというじゃありませんか!
これはいい機会と、前者の「既成の価値観や色眼鏡に犯された連中」を引き連れ出し、今日こそ白黒つけてやろうと、プールにでかけたのです。

結果、魚はいませんでした。
「やっぱり、魚はいなかったんだ・・あいつらの言うとおりなんだ・・負けた・・」
とは思わない。
水のなくなったプールを隅々まで探し、二、三日経ち、干からびたプールを確認した後、
「だから、やっぱり、魚はいなかったろ?おい!」
「くっそー、またしても逃げられたか!」
と。
そしてすぐ、野蛮な「無魚論者」との肉体的説得が、また始まるのです。

また、諦めの悪さは輝きを増し、
小学生低学年の頃、ミニ四駆やガンダムのプラモデルが流行った時の事。

あたくしの家庭は少々厳しく、お小遣いなどは手に入れるに中々困難でした。
しかし、プラモデルが欲しくて欲しくて堪らない。
もう、こうなったら、糞ガキですから、地団駄でも犬の糞でも何でも踏む。
すると、両親も折れて、家の手伝いを労働条件とし微かな賃金で雇用契約をしてくれました。
すれば、糞ガキですから、頼まれもしないのに、なんでもする。部屋の掃除なんて気を利かせれば、方っ端からモノをゴミ箱に捨てる。障子に穴あれば、アニメのシールを方っ端から張る。犬の尻の穴にも張る、それは屁の用心になる、これは落語のサゲだった・・。

そんな努力が報われて、やっとこさ初給料500円ほどの収入を得て、いざ目的のプラモデル購入と補助輪付き自転車をまたぐのだが、ここで知っていただきたいのは、当人の実家は山の中腹に位置し、おもちゃ屋さんなどは遥かふもとの町までの小旅行を企画しないとノレンをくぐれないのです。
その企画案には四箇所のおもちゃ屋のある地域があり、週六日制、日曜日のたった一日な休日ライフ、そんな小学校生活では、四つ全て回るのに、一箇所一週間だから、約一ヶ月を要する、ロングスパンなプランでした。

でも、それはすごく楽しかった。

そんな訳で、当時、テレビのCMかアニメか何かで見た、当時の人気ミニ四駆を買いに出かけました。もう一言付け加えますが、ミニ四駆は当時、とても人気があるおもちゃでした。

初週の日曜日、おもちゃ屋さんに入ると、あたくしは、しつこい。

目的の品があれば、即購入と話が早いが、なければ何時間でも同じ場所を探すのです。
品が入った箱を入れ替えては、奥を探し、入れ替えた事により違う商品棚に見える同じ棚を再度奥まで探します。
一度、外に出てみる。
また来店して繰り返す。
その度に店員さんに聞く。
店内を一周して探す。
戻って繰り返す。
箱を開けてみる。もしかして、パッケージだけ間違えているかもしれない。中身はあたくしの欲しいヤツかもしれない!

暗くなると、おもちゃ屋さんに「お家へ帰ろう、届いたら連絡してあげるから」と頭をなでられて帰宅を促されました。

二週目、みつからない。

三週目、みつからない。

その間、おもちゃが届いたという連絡は無い。

最終日、とうとう最後の最後でも目星の品を見つける事は出来ませんでした。そして同様に暗くなったところあたりで、店員さんに促されました。
しかし、あたくしは立ち上がる事が出来ずに、うなずくことも出来ずに、ついにはそこで泣いてしまった事があります。
この時も、
「どこにも無かった・・」
という思いではなく、
「見つからなかった、どうして隠すんだ?出して、見せてよ!」
と、いう思いが強かったのです。

このおもちゃ屋さんがある四箇所の地域は、当時のあたくしにとって世界の広さと同等であり、この範囲があたくしのおもちゃに対する世界全てでした。
「テレビの中では実物があるんだ、世界のどこかに必ずあるはずだ!」そんな思いは「世界に意地悪をされて隠されているんだ」という思いとなり、歯がゆく悔しい感情でいっぱいでした。

それほど諦めが悪い子供でした。


言い換えると、それは、「信じる力」と言い得ると思うのです。

魚がいると「信じる力」、ライオンは動くと「信じる力」、おもちゃは有ると「信じる力」、

12月24日の夕方、家の中をひっくり返す態でサンタクロースの存在を問う。両親がサンタクロースのはずは無い!サンタのプレゼントは寝ている間にサンタが持ってくるんだ!家の中にあらかじめプレゼントなんて!プレゼントなんて!・・あ!!

「・・・やられた!こんなに早く来ていたとは!」

サンタクロースを「信じる力」。

続く・・・
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by under-heart | 2006-11-07 22:24 | at a loss