えへへへへ


by under-heart
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

バンバンバカンスで

あたしの働いている会社では、日本では珍しく、バカンスが二か月あります。

カモン、批難!の有料休暇です。

その分普段のお給金は低いですし、夏は休みと睡眠がほぼナシですが、というフォローも意味もなく皆様ご立腹でしょうが、あるんだから、うっさいねん、ええやんけ。

今はそのバカンス中で今までできなかった事をたっぷりやったろうということで、ジミーにレンタルビデオ見まくってます。

だからって、将来、役に、立つと信じて見まくってます。

今日は実家の稼業手伝いの後、「フラガール」と「マディソン郡の橋」を観ました。


前者はベタだろーなと思って借りて、ベタで、東北弁、何言ってるかわからなかったけど、畳み掛けの後半戦は全て、漏れなく、涙、漏れました。
時代に立ち向かうってのは、ハードボイルド、かっこいいです。
ベタベタにボロボロ泣きました。いろんなことに嫉妬しました。歳をとったのでしょう。

後者は大好きな名監督の一発なので、いろいろな疑問をかんがえさせられ、染みる、一発でした(あっちの一発との引っ掛けあり)。
彼のお陰で、アメリカ人を好きになれましたって表現が最大限の僕の賛辞です。
倫理観や道徳感、文化、もろもろをとっぱらって、人間としてのつながりを感じさせてくれる、いい監督、ってのがいてよかった。映画って素晴らしいな、人間って素晴らしいな、っていう、よかった。

人間が大人になるのや、立派になるのってのは、バトンタッチのように朝日と共に突然変化するのではなくて、棒倒しの様に、じわじわ、じわじわ、ツラーイ事が重なり、芯が折れ、それでも立ち直って、でもそれはまだ階段の一段目で、まだまだ、じわじわ、じわじわ、苦しんで、悩んで、いつの間にか、他人がそう見てくれるもので、本人はなかなか自覚がなくて、そんな事が、成長するってことなのかもしれないのかもしれないデスガ、だからと言って、認められ、成功がまっているとは限りません!苦労も不幸も、未来に対し、まったく、何も、保障されません。
だととしたら、ねぇ、だとしたら、人生、がんばれますか?あなたの人生は、がんばる価値のあるものですか?
・・いや、がんばりましょう。考えましょう。その価値はあるんです!あるでしょ?!って思わせてくれる映画ってものがあります、感謝!

カモン、避難!!
[PR]
by under-heart | 2009-01-29 02:11 | beyond description
たそがれ清兵衛ネタバレあり。


大衆男性に於いては、
「貧乏でも質実剛健に真面目に生きていると宮沢りえのような美女をゲットできる」

大衆女性に於いては、
「わたしの為に戦ってくれる男って最高ね」

そんな製作会社側ポップラブストーリーなテーマはさておき、この映画の主人公のバックボーンとして、天台宗・最澄の言葉「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」つまり小器量者こそ国宝という骨組み置き、時代の理不尽さに翻弄されてゆくドラマを描いている。

あらかたのストーリーは、朴訥な貧乏侍が妻に先立たれ、残された痴呆な母の看病と子供二人の世話をせねばならず、貧乏に拍車がかかり、衣服は汚れ、臭く、世間との接触を避け、同僚との遊びも断固として断り、必ずたそがれ時に帰るから「たそがれ清兵衛」とあだ名される。
真面目だけが取り得な為に昔の杵柄である剣術の腕がお上に知れ、望みもしない運命に巻き込まれてゆく。
そこに幼馴染の「ともえ」が出戻って来て、恋愛が絡む。

時代劇小説としてはよくある話。

ただしこの映画を深く読むと、監督が原作に感じていたであろう時代の惨さが読み取れる。
はっきり言えば、この清兵衛がチャンバラをして、恋愛をするだけの映画だから、「だから何ね?なにが言いとうね?身分制度がどうのうこうのうですかね?」で完結してしまうのだが、この清兵衛の周りでベリーアンハッピーな事がおきている。
清兵衛よりも不幸な人間がたくさんいる。
まず、清兵衛の近くでいつもお供をしている下男。これは貧乏な清兵衛より明らかに生活水準が低い。と、なればその頃の農民の生活はいかがか?と想像してみると、映画の中では農民が皮と骨だけになって川に流れている。
そして大一番の見せ場である最後の決闘の相手は清兵衛より明らかに不幸であり、救いようがない。
彼の最後は暗闇で終わる。

その暗闇こそ、おそらく藤沢周平が表現していた時代の闇であり、その中を耐え生きる人間の強さと輝きが描かれていたのではなかろうかと原作を読んでいないミーハー心で思案しました。

なぜなら清兵衛の人間ドラマとしては映画で十分に描いており、「もう、ほっといてくれよう!」といわんばかりの清兵衛に降りかかる、身分が原因の理不尽な命令や掟の中で、ロミオとジュリエットさながら、侍ではなく人としての、むき出しの人としての恋愛表現には見ごたえ十分であり、あっさりと振られてしまう所も、大変納得で愉快愉快。

その他での見ごたえは、殺陣。
真田広之は日大芸術学部の殺陣同好会(だったかな?)の先輩で、あたしは四、五年前の日芸の文化祭でその時の代の殺陣を見た時のその迫力は凄まじく、感動に震え、その帰りに知り合いさんに挨拶に楽屋へ顔をだしたら、丁度真田広之が挨拶と激励をしていて、ありがたくもあたしもお言葉の端っこをいただいた覚えがあります。
さすが、学生の頃からの芸ならもう玄人芸でしょう。

そして主演女優の宮沢りえですが、あの気品ある上質な雰囲気と立ち振る舞いは、まったく稀な才能の持ち主だと感嘆させられます。
事実、その気品が本物かどうか、作られた気品なのかどうか、あたしはこれこそはという気品を持った女性に今まで出会ったことが少なすぎる為、判断しかねますが、例え作られたとしても、あの緊張感には閉口します。
しかし、民放の為、途中のCMで流れてしまった「サントリー伊右衛門」の中ではモックンと懇ろになっているのには笑えました。

役者では清兵衛の下男のなおた役の役者はいつも面白い。無能の人など、見るたびに唯一無二の演技をしているのだが、名前が思い出せないのが残念。

そして、個人的に面白かったのはなんといっても、時代劇の面白さはその美術と演出で当時の文化を知るところでしょう。
自分の疎かな知識と照らし合わせ、その文化をまた肉付けしてゆくのは楽しいものです。
その文化の中で感動出来る映像美。それは凛と聳え立つ雪肌の東北の山々の美しい事。
時代は変わっても、その美しさだけは変わらないのでしょう。
それはきっと人間の美しさ、とか言うと綺麗に閉まります。
おやすみなさい。
[PR]
by under-heart | 2007-01-10 23:47 | at a loss

硫黄島から

「この手紙は届く事がないだろうけど、書いてるだけで安心するんだ」

あたしが中学生だった頃、アメリカから二人の中学生がホームステイとして我が家へ来日しました。

あたしに比べ同年代の二人はしかし、断然体格が大きく、ウチの父親にビールをねだり、コップ一杯で真っ赤になりながら始終にやにやと笑い、撮り貯めてきた家族の写真アルバムを開き、自信を持って丁寧に自分の故郷の話をしてくれました。

その姿と、当然な事ながら、スラスラと話せる英語にあたしは大分大人びた印象を抱きました。
[PR]
by under-heart | 2006-12-14 17:35 | at a loss

MILLION DOLLAR BABY

大学に通って、友人、知人が増え、彼らを集めて、催しなどを企画するほど、充実していた時期があったのですが、自分をぶつけ時間を省みず生活している内に、気付くと周りはほとんど誰もいなくなり、卒業を迎えました。

そんな時期に、あたしの唯一の小さな楽しみは、早起きをして新宿の映画館に平日朝一番の映画を見に行く事でした。

新宿の朝はどんな天気でも決まってどんより曇り、朝を歓迎していません。どこか眠たげな繁華街に入り、ゴミ捨て場に積まれた大きな袋をいくつも通り過ぎながら映画館に向かいます。

この街はもしかすると日本で一番込み合う街なのかもしれません。その為の新宿の大きな映画館なのですが、平日の朝一の映画館は静かで空いていて、でも、前日の夕方からの大勢の観客の熱気が少し残っている様な気がして、それが、一抹の寂しさを纏ってのです。

前日は賑わっていたけれども、今は誰もいない。
その自分に似た寂しさは「もう、この時間は誰にも邪魔をされない。誰も入ってこない」という安心感と共感をあたしに与えてくれました。

新宿で見た最後の映画が「ミリオンダラー・ベイビー」でした。


前回の記事でも推奨した映画で、この度TV放送されました。
それをビデオ録画で本日見る事が出来たのですが、民放の為、吹き替えとCM、サイズ縮小とシーンカットの為、あの時の魅力は半分以下にされていたのですが、それでも、痛いくらいの衝撃がありました。

この映画は人間を見つめすぎている為に、地上波で放送されていいのか?と疑問に思うくらい真実を如実に写します。そこでは一つの強烈な人間が映し出され、しかし、その生き方は必ずしも正しくはなく極端に偏っている為に、製作者側も見る側の道徳や観念を信じ、強くテーマを訴えかけているのです。

この時代に生まれると、あらかじめ何もかも用意されている事が多いものです。
あたしはこの頃から、しかしそれは簡単に消えてなくなるモノだと感じ始めていました。

「自分を守れ」

イーストウッドのこの言葉は、人間はきっとずっと初めから何も持っていないからでしょう。
そして、守りたい事の出来たときの重要さも含み。

「Mo Chúisle」
[PR]
by under-heart | 2006-12-11 23:25 | by the wey
産まれて来る時に親を選べませんよね。
産まれて来る時に国を選べませんよね。

産んでくれた親に愛されるとは限らないのでしょうか?
産まれ育った国に愛されるとは限らないのでしょうか?

アメリカから見た硫黄島の戦争では無く、
アメリカ側に属し、アメリカ側で戦わざるを得なかった「人間」から見た硫黄島の戦争の映画。

父親たちの星条旗

あたしは正直、日本人以外の人間を少し苦手なトコロがあります。
文化や感性、伝統や歴史が違うと人間としてモノが違うのではないか?
と思い込んでいるからです。
同じ日本人でも、関西の方の、あのひょうきんで遠慮のない力強さに構えてしまうことがあります。

そんなあたしに「人間」を教えてくれる映画があります。
海外に出るわけでなく、日本にいながら。
文化も感性も、言葉も、肌の色も目の色も髪の色も違うけれどそれぞれみんな「人間」である事を。
映画によっては男でも女でも幼児でも老人でも障害者でも奇形でも。

クリント・イーストウッドは「人間」を描ける素晴らしい人です。

誰も英雄になることが無く、誰も幸せになることが無く、アメリカの勝利で終わる戦争の実話。
アメリカの兵士は国の為に命を失ったのでなく、戦友の為に命を落としたのだそうです。
こういう映画が世に出れる時代になった事も素晴らしいと思います。

次回作は日本に生まれて硫黄島で命を落とした人々。
かならず映画館で見たいと思います。

そんな訳で、今日は映画が安い日でした。

追記:「ミリオンダラーベイビー」も素晴らしいです。見ましょう。
[PR]
by under-heart | 2006-12-01 21:03 | by the wey

愛好会

9月3日の投稿で「ローズ~」の所見を述べた。
その後に他の見解を覘いてみたのだが、なるほど、
「ロリ・グロ」ねぇ・・。

現代にB級映画を全力で作ってるのは評価出来る、といったところか。
他、現実逃避と現実描写、どちらを描いているかという問答はどうでもいいな。
やってる事にリアリティーが感じられないんだよな。
結果、異常なファンタジーの世界にのめりこめない。

過去、サブカルチャーやB級映画の感性への理解を示そうと思い、
ホラーやグロの映画を短期集中、レンタルで見た時期がある。
その中で 「ネクロマンティック」という、当時実に困った映画があった。
ネクロとロマンティック、おいおい、よせよ、よせってば。ってなタイトルで、
中身は混入物無しのネクロフィリア100%
当時はこの手のモノへの感受性が無かった為物語へ入れるはずもなく、ただし今はいけるのか?と問われてもちょっとキツイ。いや、なおさら無理だろう。
初見では意味もわからず、画面を見据えて文字通りスルー、「経験」していた。

マイナー趣味が存分に見て取れる映画や作品は、見るものを選ぶ。
喫煙者だけが喫煙室で喫煙すればいい。

ホラーやスプラッタに限らずアニメやSFでも、これらには現実を離れたファンタジーが必ず存在する。それらを認識させるリアリティーが視聴者との架け橋の役割をしていると思うのだが、それ無しでも感性を通じて理解でき、自然と歩み寄れる同胞がいる事も確かだ。

しかし、それ以外の人間には煙たがられるだけなんだがな。
「会話」と一緒だ。
[PR]
by under-heart | 2006-09-14 20:27 | In-bonno

「THE LONG SEAZON REVUE」Report

今日は大好きなフィッシュマンズの映画を見てきました。

この映画は去年行われたTHE LONG SEAZON REVUEツアーを中心に、
小田島等、竹中直人、よしもとよしともなど、フィッシュマンズ好きの人たちによる「思いの丈」映像を融合収録。
THE LONG SEAZON REVUEツアーとは、リーダー茂木欣一によって企画、山崎まさよしやUA、原田郁子など多数のボーカリスト迎えて2005年の11月に行われたライブの事です。

したがって、サトさんはほとんど映っていませんでした。
映画上映中、その寂しさで涙が止まりませんでした。

でもこの映画はそんな映画じゃなくて、
「佐藤伸治が逝去しても、彼が残したフィッシュマンズの音楽は、多くの人に影響を与え、愛され続けている」
そんな、ポジティブな映画。キンちゃんも楽しそうにドラムを叩いていた。

でも、あたしはまだ、そんな風に見れないですね。

フィッシュマンズの音楽はあたしにとって、サトさんがいて成り立つものなんです。
この映画ではフィッシュマンズを「見る」「聞く」のではない気がするのです。
映画の中ではフィッシュマンズを好きな「運の良い」人たちがステージの上に立ち、
「運の良い」おもいをしている。
なんか、それは違うよ。
正直あたしはそう思いました。

だから、先ほどの「涙が止まりませんでした」は嘘です。
ボーカリストの声が入ると自然と涙が止まるのです。
「ロングシーズンは山崎じゃなくてUAが歌えば良いのになぁ。あ、でも演奏中に勝手にエイエイ歌いだすからそれも困りモンだな」
などと余計な考えをしていました。

決してこの映画を否定するのではありませんが、アーティストにはいろいろなファンがいて、それぞれがそれぞれに思いを抱いて作品を見ている。といったところです。
ま、あたりまえですが。

残念な事にあたしはサトさんが他界してからフィッシュマンズの音楽に出会いました。
しかし、年々その音楽の素晴らしさに気付かされています。自然、年々サトさんの死に悲しみを募らせています。
きっと、ずっと、ポジティブにフィッシュマンズを聞く事は出来ないと思います。
そんなひねくれたファンですが、それはそれでいいのです。

そういえばサトさんはつくづく宇宙人みたいだったなぁ。
[PR]
by under-heart | 2006-09-06 21:36 | at a loss

おままごと

自らの貧弱な感性を鍛錬する為、忙しい中でも時間を作り、
美術館や映画館などへ足を運ぼうと努めているのです。

先日も双方へ足を伸ばし、刺激をご馳走になりました。
市営の美術館ではトリックアートという企画を開催しており、
「騙される楽しさ」をテーマにさまざまな作家が視覚の死角を利用した作品で、
平面から立体から新たな視点を覗かせていました。

少々前に、写真美術館に於いて「ポストデジグラフィー」といったデジタルアート展
を頂戴し、デジタル視線の可能性を拝見してきたところでしたので、相対的に視覚効果を考察出来、なかなか勉強になりました。

「構図」と「配色」によって画の表現力は無限に広がると実感です。
考察するに良いテーマですので、資料を見つけては考えを深める良い機会となりました。

問題なのはその日に見た映画。
ローズ・イン・タイランド
というファンキーなイギリス映画なのですが、
あたしにゃ理解できません。

あらすじは、
ジャンキーでエゴイスティックな両親の間に生まれそだったファーインな女の子ローズが母親の死(おーばーどーず)の日に父親と田舎の祖母の家へ出向くが、
到着と共に父親は死んでしまう(再度、おーばーどーず)。
そんなファッキンな状況下、人形の首だけが友達のローズは想像力を頼りに外(辺り一面が黄金色の草原)に出て、
不思議な国のアリスの様な好奇心と冒険心を武器に、近所に暮らす奇人変人と
ミイラを作ったり、鮫から逃げたり、恋してみたり。

幼年期の無邪気な好奇心と想像力の無限の広がりと、それに伴う残酷性。
あたりがテーマなのかしらん?と見ていたのですが、退屈で途中で寝るしまつ。
「最初から最後までまともな人が出てこない」と、コメントにあったのですが、
この映画に出てくる人はみんなまごうことなき「子供」なのですよ。
大げさなおままごとって感じの映画なんですよ。ファッショナブルで綺麗な雰囲気で。
誰もが持ってた純粋さを喚起させるような、映画。

でも、あたしはそんなことどうでもいいんです。
その純粋さを失っていく感覚を悩み実感ながら理解しているので、いまさら提示されても、
「知ってるよ、そして二度とその感覚が戻ってこないことも。でもその上で現状の想像力を駆使する世界を楽しむ術を試してますので。幼年期の感覚もその為のひとつの引き出し。ほら、あんた(監督)がこの映画で使ってる引き出しだよ。あたしゃそんな女々しいことはしないけどね」
ってな具合です。
きっと、オサレ好きな、かわいいものだけで世界を回せる頭からっぽのウラハラジュケーションの方達や、テレビゲームばかりで自らで遊ぶ力がない現代っ子達には新鮮で楽しいのでしょうか?

あとは、女の子がむちゃくちゃかわいいです。

こりゃ、なんだか¥1700のリスクから斜に構えた意見になってしまいましたが、
こちらの理解力不足もあるのでしょうね。
もし、だれか違う見方をする方がいらっしゃいましたら一方ください、お勉強させて頂きます。
[PR]
by under-heart | 2006-09-03 13:47 | at a loss