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by under-heart
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竜宮城の末

「50年後、四割が高齢者」

えー!
うそーん!

国立社会保障・人口問題研究所が20日、日本の将来推計人口を発表したそうです。
50年後のあたくしは、70と数歳で、高齢者として脂が乗っている時期ですので、お友達がたくさんいてようござんす、なんて言ってられず、年金を貰えず、介護の数も足りず、「足でも怪我をしようものなら、誰も助けに来てくれない、自分では動けない、ひたすらに発見されるのを待つ」と言った、行方不明の登山者みたいな綱渡りの生活になってしまう可能性があるのです。

そして、ここまでの超高齢者社会は年金を支給を困難とさせる、予想させるに十二分でしょう。

一人暮らしの頃から、その日のパンをも切り詰めて、一応、国民年金ですが、こそこそと影にかくれてでも収めて来たものですから、これは、ミナミの帝王、満田銀次郎に頼んででも回収してもらわねば心地は落ち着きません。

それに、女性の出生率が下がり、なんと人口が約9000万人にまで減ると言うのです。

これは、あたしの予想ですと、50年後は日本人は減るでしょうが、諸外国からわさわさと増えるインターナショナルな事になってくるんじゃあないかと思われますので一概にはいえませんが、とにかく、例えば、今の人口が一億三千万としますと、年間80万人が減る訳ですから、三年にひとつの都道府県がスッカラカンになるほどのスピードです。

嫌ですねぇ、タイムマシーンが発明されて、未来へ行くと老人しかいなかった、なんてのは。
きっと老化防止の薬品や製品なんかが商品棚を埋め尽くし、おおきな産業になり、巣鴨で経済が動き、カリスマ老女などが出てくるのかもしれません。

医学の進歩で延命されども、生き延びるのは老人様たちで、子供は増えませんから十五歳未満の若年人口は全体の8パーセントとしかいないというのです。

40(老人):8(若年)

では、若者一人が老人五人を相手に年金を捻出せねばならず、その上、知恵袋ならぬ小言が五人分押し寄せてくるものですから、小言では済まされず、年寄りの大言を毎日聞かされる事となり、ストレスが溜まり、純度の高い反抗期を向かえ、世相はますます荒れるでしょう。

世は太平といえども、これはおっそろしい時代になってきましたなぁ。
もはや転換期を間近に控えているんでしょうな。
この日本を舞台とした浦島太郎の物語の結末をどう捉え、生き抜くかが大事です。

そんな一枚。
c0094707_2031169.jpgBlood, Sweat & Tears

「子供は人類の父である」









血と汗と涙・・・、う~ん、まさに。
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by under-heart | 2006-12-21 20:35 | by the wey

雌の匂い

視覚を利用した表現に、絵画や写真があります。
聴覚を利用した表現に、音楽があります。
味覚を利用した表現に、料理があります。

嗅覚を利用した表現を考えるに、具体的な例はさておき、セックスアピールに利用されているのは間違いなく感じます。ゆえに、
「雌くせぇ!」
などと、食事前のあたしの前に現れる過剰なパヒュームな妹に敵意をむき出すのですが、どうも、これ、最近のうちの駄犬が色づき始めまして、身体に異様なモノを擦り付け始めたんですよ、これが、もうまいった。

散歩に出かける時に、あたしは時間によりいくつかのコースに使い分けているのですが、その中に、気が向くと足を伸ばす山道コースとして、マタギの為にあるんじゃねえか?という道なき道を山に入るコースに連れて行くケースがあるのです。
そのときは手綱を解除し、野へリリースしてやりまして、すれば予想通り大喜びではしり、ただしかし、あたしとの半径10mの距離が開くと急いで近くへ戻ってくるので、あたしも楽だし、犬にも運動になるので、安心していられたのですが・・

どうしたもんやら、最近は、二回に一回の散歩のペースで、身体に、擦り付けて、来るんですよ、イノシシの、




「うんこ」



干支を意識するほどの粋な計らいでもないでしょうから、幾度も怒り、身体を洗い、往復ビンタをお見舞いしてあげても、どうしても、なんでよ?うんこ、擦り付けて帰ってくるんですよ・・。
なんなんすかね?
誰か知りません?対処のしかた・・・?
ともあれ、来年はいい年になりそうですが・・・。
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by under-heart | 2006-12-20 18:41 | by the wey

それから

あたしがブロ糞を開始された頃から約一ヶ月のちに、日本の釣堀と呼ばれる僻地からあたしの友人が細々と不ログを公開しはじめました。

「ブロ愚上で企画事とかして、何かせん?」

だいたい毎日気の触れた事ばかりを叫ぶ友人はあたしにこんな事を提案してきました。
今回は大丈夫だろうか?熱は無いだろうか?気をしっかり持っているだろうか?
などと心配をながら、話を聞くに、なるほど、風呂グ初心者のあたしが無知なようでした。
この遊びは、数人の知人とコンタクトを取り、あるテーマを持って、日にちを指定し、告知をし、その日、それぞれの侮ログ上でテーマに沿った、それぞれのアイディアと視線で記事を書き、相互リンクで楽しむ。

みたいな、暗ーーーい遊びがあるようなんですよ。
暗い遊びは大好きですから、例えば、似顔絵を描いて、それだけでは飽き足らず、ハッと気が付くと、鏡に映った自分の顔に直接ペンで似顔絵をなぞり「できた、そっくりだぁ」それを見ながらニヤニヤするような、暗ーい遊び。

企画に賛成し、では、友人に声を掛けようとそれぞれ思いの丈を巡らすに、結局お互いがお互いしか誘う相手がいなかった事にさらーに暗ーくなり、それを楽しむが為に、なおさら自虐的にテーマを「クリスマス」に絞って、二人はさらに暗ーく、なったのでした。



「告知です」


来る十二月二十五日のクリスマスに、あたしが原案、構成し、友人が換画し極彩色を施したクリスマステーマの漫画を作成し、公開します。
暗ーいクリスマスをお送りした方のみ、閲覧権がありますので、どうぞ、お気が向きましたらお覗きくだされ。

とは、言ってみたものの、その、友人。
あたしの部分の原案、構成は前より、上がっておったのですが、
「休日出勤だった」や「財布を落として地面を這いずり回って一日を終えた」などと、締め切り一週間を切る頃に事件事故を起こす厄介な輩で、一昨日までは、「すまん、出来へんかもしれん」などと、常々の気の触れた叫びで泣き言をしていたのですが、また先日、「もう、他の事は知らん!どうにでもなれ!やれるトコまで突っ走る」

などと、間違えなく躁鬱の気配を醸し出し、漫画に専念する「覚悟」(先日の記事はここに繋がる)を決めた模様で、こちらとしてはうれしい限りなんですが、どうにでもなった場合、あたしは蚊帳の外でへらへら知ったこっちゃありませんが、当人はとっても困るのでしょうが、それを気付かないうちに早く仕上げて欲しいと願っております。
そして、この猫も杓子も忙しい、ギリギリのスケジュールで、当人がどこまでのクオリティーで仕上げてくるかは、またひとつの見所なのです。見所ですよ!お客さん!
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by under-heart | 2006-12-19 18:42 | by the wey

猫も杓子も

12月は師走といいまして、猫も杓子もせこせこと忙しい年の末です。

あたしは約五年間、実家を離れて一人暮らしをしておりまして、その間に両親から一生分の心配を受けたのではないかと言うくらい、実家を騒がせて、本人は蚊帳の外でへらへらしていたのですが、それが、実家に帰ると、師走、この忙しい時期に、今その五年分をまとめたように母親に怒られています。

「怒られるのも親孝行」

てな話も聞いたことがありましたので、みずから本当に出来た子供だと関心をし、次々と種を撒き、そのたびに怒られていましたが、最近は家庭の空気も少し悪くなってきた模様でして、自律神経としても母親への親孝行(怒り)を解決させたがって来たので、ひとつ、大人になってやるかと思い、ひとつその「階段」とやらを登ってみましょう、アルバムの中に~♪かくれて~♪おもいでがいいぱい~。

「モラトリアム」
というのは、年齢的に大人に達しているにも関わらず、自らの自己形成が欠けており、社会に同化できずに居る人の事ですが、これというのは、「覚悟」の欠如だと考えるのです。

かくいうあたしも、高校時代にはこの「覚悟」の欠如のせいで浪人をし、自らの道を見つける事が出来ませんでした。
それは一重に「状況の変化」を嫌っていた為でしょう。

幼児的全能感という、子供の頃は夢や希望に溢れていて自分は何にでもなれそうだ、そんな気持ちを人は少なからず持つといいます。
あたしも例にならって持っていたのでしょう。そして、進路が決まる事に対しての「先送り」として浪人を選んでしまったのです。
何かが決まって人生が進むことで、可能性が狭まる事が怖かったのです。
何かが始まってしまうことが怖かったのです。

しかし、それでは解決にはなりませんでした。
そこで人は「覚悟」の元、一部の可能性を切り落とし、一部の可能性を現実へと変換してゆくのでしょう。
進路として、時間を消費する事、リスクに負う事を覚悟し、技術や知識を得て行くのです。

ちょっとマクラが大袈裟になってしまった気がしますが、今回、今年のクリスマスに当たって、覚悟を決めたあたしの友人が一人います。
その件については、時間が無いので、明日、お話しましょう。
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by under-heart | 2006-12-18 23:19 | by the wey

カーペンター

そんな訳でそろそろクリスマスです。

そんな気分になって歌をうたったのも、先日、親戚筋が参加している隣の市の交響楽団「第九」のコンサートに行く予定だったのを仕事で逃した為の八つ当たりでして、実を言うと、今まで、職という職に就かなかったのは、せめて、社会にでるまでの、少しの自由の中で、亜寒帯気候の中に訪れる一瞬の春のような自由の中で、その儚い数年の内に、いつか、素敵なクリスマスを過ごしてから、過ごしてから・・。それから、全ての自由がストップした永遠の社会生活へと身を落とそうと決めていた、というのは嘘ですが、素敵なクリスマスなんぞがなかったのだけは事実です。

考えるに、クリスマスの思い出となると、どうしたことやらごっそりとそこだけ穴が空いたように記憶が抜け落ち、サンタクロースなぞはプレゼントを運ぶのではなく、その日のあたしの記憶だけを盗みに来る輩なのではないかとの推測が強く懸念されます。

まぁ、だからと言って素敵なクリスマスとは、なんぞや?

「好きな人とー、夜景の綺麗なー、ホテルのスイートでー、」
とか、ありますが、これには閉口しまして、結局、「好きな人」つうのといれればいいのか?それとも「夜景の綺麗な」のがいいのか?
いやいや、その共存よ。との声が聞こえまするが、問題は、実は「好きな人」が先にあらずの、「夜景が綺麗なー」とか「ホテルのスイートで」を現実として確保、実現できる人が「好きな人」となる、「好きな人」の候補にする節がして、なんとも言い訳がましいので却下。

と、なると、そうですね、一度、教会のミサに出て、隣人とパンを分け合う幸福とやらを体験してみたいものです。
ばっちり興味本位なのですが、宗教というものを嫌悪する最近の風潮からあたしにインプットされる固定観念を振り払って、一度、多くの人間を惚れ惚れさせる、あの、痩せた十字架男を見つめ直して新たな価値観を持つ機会が欲しいと思っていたからです。
「くだらない」と言うかどうかは、その後、の話。丘の上から海を貶してもいけんでしょう。

その他、素敵なクリスマス。
あー、学生時代に企画してポシャった「聖歌隊」したいですなー。
今まで、人を魅了し、動かしたモノで、政治、哲学、宗教、経済、権力とさまざまありますが、やはりあたしは音楽に魅了し動かされたいむにゃむにゃ。

ああ、「第九」行きたかったなぁ。
と言う訳で、「カーペンター」の記事でした。
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by under-heart | 2006-12-17 23:40 | by the wey

年末の素敵なプレゼント

ちょっと前に、友人に誘われて「バトミントン」をしました。

今までに羽根突きはしたことがあるものの、あたくし、バトミントンは初体験でありんすので、手取り足取り、やさしくしてね状態で教えていただいたのですが、甘く見るなかれ、この羽根突き、以外とハードなスポーツでやんして、一時間も「底の抜けたシャモジ(ラケット)」を振っていますと、もう、手が上がらない。

とくに手首を酷使する事が甚だしく、自分の手首の不自由性をしみじみ思い知らされ、三時間も経てば、事が事なら今頃顔は墨だらけなんだろうな、正月までにこの不自由を克服せねばと、手首の訓練として、目下パチンコのレバーを握り、捻りっぱなし、というのは嘘ですが、初めてのスポーツで、普段、運動を心がけているものの、自分の身体が自由に動かせなくなっていることに危機感を覚ました。

そんな危機感と共に、年末にはいろんな危機感が訪れるような気がします。
今は忙しいので、
つまり、忙しいってのは俗事を考えない事だから、
現実逃避中ですので、
その危機感についての例は列挙しませんが、
もし、歌うならば、

♪危機感が街にやって来る♪

あなたからメリークリスマス
わたしからメリークリスマス
危機感がやって来る♪

さぁ、聞こえて来るでしょ
鈴の音がすぐそこに
危機感がやってくる♪

待ちきれないでおやすみした子に
遠い国から危機感もって

さぁ、あなたからメーリクリスマス
わたしからメリークリスマス
危機感がやって来る♪

と、言うわけで、「サンタが街にやって来る」に合わせて歌ってみましょう。
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by under-heart | 2006-12-16 19:51 | by the wey

ガテン

危険物取り扱いの資格ゲトー。
やったー。

蓋を開ければ正解率95%たったのですが、いつになっても発表時は緊張するものでした。
とりあえずコレで「危険なモノ」が取り扱えるというわけですよ、だんな。
たまりませんなあ、ぐふふ。


昨日、田舎に引っ込んで来てから、知り合いになった人のお店へ仕事帰りに遊びに行ったんです。

そのお店は、倉庫として作られた広いスペースを借り切って、服屋にインテリアにメシ屋、スケボースペースをぶち込んで混在させているところで、あたしの知り合いはそのメシ屋を担当しているガテン系な体型をした気の良いあんちゃんで、資格や料理はほとんど知らなかったところを、行動力ひとつで店を構えちまったという気の良いあんちゃん。

「卒業してからさぁ、大工の下で働いてたんだけど、金はいいんさぁ、それこそキャバクラで撒くように使ってたからねぇ。ただ、やっぱ、そういうのもつまらなくなっちゃったっつうか、今自分の好きなことやらねえと、もう、一生やらねえだろうからさぁ」

店の内装や外観は全て自分の大工経験から友人を使って建て上げてしまって、料理も教わる事なく自分で全てを勉強したのだという。

「いやぁ、寝れなくてさぁ、家に帰らないで、店で生活してたよ。飲酒で捕まって免許も無いしね」

初めてそこのお店で飲んだ時の閉店後一緒に朝まで飲んで、あたしがした新宿二丁目の話へずいぶん食いつくもんだから、ガテン系の色黒な気の良いあんちゃんはもしかして、気の「ある」あんちゃんなんじゃないかと心配にもなりながらも、今でも仲良くさせていただいているのです。

「来年は動くねぇ、こないださぁ、いきなり服屋が出て行くとかいう話になってさぁ、俺、この後どうしようかと思って。オーナーに好きにしていいって言われて、店でかくすんのはいいんだけど、そうすると一人じゃ回せないしさぁ、工事費だって自分でやっても300は掛かるし、その間は休業しなきゃってんで、どうしようかなと、年末のイベントで200人相手にしなくちゃならないしさぁ、税金だとか、経理だとか、ぜっんぜんわかんねーしさー、考えることが多すぎるよねぇ。この店、一年目で今年割引券配ったけど、オメーんトコ、来年もあんのかよっていうさ」

どこも、大変で、ウチだけじゃあねえんだなぁ。

「年を越えるってのは大変な事だいねぇ」
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by under-heart | 2006-12-15 21:44 | by the wey

硫黄島から

「この手紙は届く事がないだろうけど、書いてるだけで安心するんだ」

あたしが中学生だった頃、アメリカから二人の中学生がホームステイとして我が家へ来日しました。

あたしに比べ同年代の二人はしかし、断然体格が大きく、ウチの父親にビールをねだり、コップ一杯で真っ赤になりながら始終にやにやと笑い、撮り貯めてきた家族の写真アルバムを開き、自信を持って丁寧に自分の故郷の話をしてくれました。

その姿と、当然な事ながら、スラスラと話せる英語にあたしは大分大人びた印象を抱きました。
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by under-heart | 2006-12-14 17:35 | at a loss

ざまあみやがら

あなたの地元の名産はなんですか?

本日、祖父と共に、祖父の同級生のお宅へ行きました。
祖父たちの年齢は併せて160歳です。
「今年は、二人死んだ」
「あいつは医者だから、自分で撮ったレントゲンを見て『ああ、俺ァ肺癌だ。まいったなぁ、もう4期か5期だよ。そうだなぁ、○○病院なら少しは長生きできるかもなぁ』なんて事言ってたって」
「それから入院して、五日で、急変してさぁ・・」
このような会話が自然と口をつきました。

この同級生が作る我が県の名産「ネギ」を買いにいったのです。
「早いウチに作ったネギは不味いから。やっぱりこのくらいの時期んなって霜を降ろした中で育てないと甘みが出ないんさぁの。白菜でもそうだよ、そうだ、白菜もあるから持って行けよ」

「俺ん家で成ったミカンなんだけど、美味いだろ?もう60年近く木があるんだけど、食べられるようになったのはここ数年さぁな、気候が変わったんだんべぇな」

「今は蚕も蒟蒻もやってねぇんさ、もう身体が言うこときかねぇんさな。土地も貸したり売ったりで。ほっときゃ一年もすりゃ草ぼうぼうだかんの、早いよ、荒れるのは」

祖父の同級生は旧制中学を卒業後、すぐに実家の農家に入り、「農家やるなら嫁は早い方がいい」と19で結婚した。農家を60年近く続けている。


テレビ番組や雑誌などで紹介される食材や料理。
どれも「おいしい」と言う表記が受け手側に
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by under-heart | 2006-12-13 17:37 | by the wey

長岡

新潟県に長岡市という所がある。

この土地で、幕末に「河井継之助」という男が生まれた。
越後長岡藩の家臣、知行は120石。
この男は雨の日の後の竹の子のようにめきめき出世をし、家老へと登りつめ、長岡藩の軍事を一手に引き受けるまでになっていく。

時代は開国か鎖国か、勤皇か佐幕か?
揺れていたが、継之助は揺るがず、近代合理主義を持ち、確かな先見性で自らの藩を改革し、わずか7万石の小藩を日本一の軍事国家に仕上げてゆく。

その先見性を有しながらも明治維新に立ち会わなかったのは、この男は自らの「立場」というものに重きを置いていたからである。
「長州(山口県あたり)は豊臣の時代からの雄藩だが、西軍に付いた為一本の矢を打つまでもなく徳川に敗れてしまった。その思いは東に足を向けて寝る程だろう。だが、長岡藩は違う。徳川の恩恵で今を築く事が出来ている」
河井継之助である前に、越後長岡藩の家臣としての自分を生きた為である。

時代は幕府が斜陽してゆく。
大政奉還となり、新政府が樹立するとまもなく旧幕府側と新政府との戊辰戦争がはじまる。
譜代である長岡藩に官軍は恭順、降伏を要求し、上級家臣がことごとくこれに賛成する中、継之助は一切自説を曲げず、藩論を押し切って「武装中立」を主張し、新政府と旧幕府の調停を申し出た。

しかし、談判は決裂。
中立和平を望んだ継之助であったが、官軍は、
「降伏し、会津藩討伐の先鋒にならなければ認めぬ」
一点張り。
この為長岡藩は蟻が象に挑む戦いで、長岡の地を焦土と焦がす事になる。

この男は、「英雄」と称えられる一方、墓を掘り返され墓石を壊されるほど、長岡の地で怨まれてもいた。

長岡という小藩に生まれた事が継之助にとって不幸であるし、長岡にとって継之助を生んでしまった事も不幸であったという。


「ドラマというのは、人がこうありたいと願い、その思いが強ければ強いほど、現実が希望と逆にすすんでしまう事である」
この様な意の言葉を、「夕鶴」という「鶴の恩返し」を基にした戯曲を書いた「木下順二」という劇作家が残した。


越後長岡で、旧長岡藩士高野貞吉の六男として生まれ、幼少時代に河井継之助の事を聞いて育ったのは、「山本五十六」である。
連合艦隊司令艦長として「真珠湾攻撃」を立案指揮した人物である。

先日、NHK番組「その時歴史が動いた」で紹介されていた。
以下、自らの稚拙な知識と、記憶に新しい番組内容を織り交ぜて紹介させていただく。

長岡中学校を卒業し、海軍兵学校に入学。
日露戦争を経験し、その後ハーバード大学へ留学。その明晰な頭脳の為「ロンドン海軍軍縮会議」の海軍首席代表に任じられる。
ここから、ドラマが始まる。

「米:英:日の軍艦保有比の条約は5:5:3である。これを対等に持ち込むように」
政府から山本に課せられた使命である。
しかし、米・英ともに頑として譲らない。
「交渉が望めない場合は、即刻脱会し、条約破棄とするように」
政府はこう命じたが、山本は決して交渉を決裂させたくなかった。
5:5:4で御の字。このままでも良い。条約破棄だけは避けなくてはならない。
政府側にも頼み込み、綱渡りの交渉が続く。

理由はこうである。
「この条約は米・英を有利にしているのではない。縛り、制限しているのだ。もし、この条約が破棄されてしまえば、軍事力は10:1以上に引き離されてしまう。日本はそれに気付いていない・・」
死ぬ気の交渉を続ける。

しかし日本政府は山本の主張を無視、帰国を命じ、交渉を破棄してしまった。

途方にくれた山本は帰路、
「海軍を辞め、博打打ちにでもなろうか・・」
と漏らしたという。

その後、時代は世界大戦へと近付き、日本は独・伊と三国同盟を結ぼうとする。
当時のドイツはその大きな軍事力で世界に名を轟かせていた。
日本はアメリカとの立場を対等に持ち込むため、ドイツと組み、軍事で睨みを利かそうとする。
その意見が国論として成立する中、山本は一人大いに反対した。

「今でさえ、物資を米・英に頼っているのに、これを切り、今後どう国を保つつもりか!」

二・二六事件や五・一五事件などの緊迫した時代の中、一人反論する山本の命は確実に狙われ始め、暗殺リストに名前が載っていたが、山本は遺書をしたため、覚悟の下、一人意見を譲らなかった。敵対するのではなく、あくまでも和平中立を望んでいたのである。

「国、大ナリト云エドモ、戦ヲ好マバ、必ズ、滅ブ」
しかし、山本の願い儚く、日本は三国同盟に加盟し、第二次世界大戦へと滑り落ちてゆく。

そして奇しくも、海軍の年季もわずかにせまり、おきまりのポストである連合艦隊指令艦長へ付いた(暗殺から遠ざけるためとの説もある)日に、ドイツがポーランドに攻め込んだのである。

山本はここでも一人、断固として和平交渉を叫んだが、国は総力戦へと決意が固まる。

山本は一人悩んだ。
国が愚かな選択を選んだ時に悩んだ。
一人「和平」を叫び続けた男が先頭に立って戦争を指揮せねばなぬ。
「山本五十六という一人の人間として生きるべきか」
「日本海軍、連合艦隊指令艦長として生きるべきか」

山本は「立場」を重んじ、日本海軍として命を懸ける。
圧倒的不利な立場から斬新な発想を駆使し、当時では重要視されていなかった飛行機を研究の末、最新鋭に仕立て、これに魚雷を付ける事よる攻撃に光明を見つけ、破天荒な戦術である真珠湾攻撃を立案するのである。

意図は、
「日米開戦と共に、米の軍事の要である真珠湾に大打撃を与え、アメリカ国民の動揺と不安を煽り、出鼻を挫き、短期決戦、早期和平を狙う。それが日米間における国力の差を冷静に判断した最良の案である」

しかし、結果その作戦は、日本の地を焦土と焦がすことになる。


人間には「土」の匂いが付くという。
生まれた土地の匂いは消そうとしてもなかなか消せるものではないと言う。

それが立場というものになり、人間の生き方を決めて行くという流れは強いだろう。

その立場の為に、こうありたいと願い、その思いは強く、その信念ままに生きた時、現実が希望と逆の選択を示し進んでしまう。

その時どう生きるべきなのか。


また、長岡の地で田中角栄が生まれるのはまだ先の話であり、また別の話である。


追記:13日の明日、午後10時より「そのとき歴史が動いた」において山本五十六(後編)が放送されます。
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by under-heart | 2006-12-12 15:02 | at a loss