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by under-heart
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藤沢周平原作の山田時代劇

たそがれ清兵衛ネタバレあり。


大衆男性に於いては、
「貧乏でも質実剛健に真面目に生きていると宮沢りえのような美女をゲットできる」

大衆女性に於いては、
「わたしの為に戦ってくれる男って最高ね」

そんな製作会社側ポップラブストーリーなテーマはさておき、この映画の主人公のバックボーンとして、天台宗・最澄の言葉「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」つまり小器量者こそ国宝という骨組み置き、時代の理不尽さに翻弄されてゆくドラマを描いている。

あらかたのストーリーは、朴訥な貧乏侍が妻に先立たれ、残された痴呆な母の看病と子供二人の世話をせねばならず、貧乏に拍車がかかり、衣服は汚れ、臭く、世間との接触を避け、同僚との遊びも断固として断り、必ずたそがれ時に帰るから「たそがれ清兵衛」とあだ名される。
真面目だけが取り得な為に昔の杵柄である剣術の腕がお上に知れ、望みもしない運命に巻き込まれてゆく。
そこに幼馴染の「ともえ」が出戻って来て、恋愛が絡む。

時代劇小説としてはよくある話。

ただしこの映画を深く読むと、監督が原作に感じていたであろう時代の惨さが読み取れる。
はっきり言えば、この清兵衛がチャンバラをして、恋愛をするだけの映画だから、「だから何ね?なにが言いとうね?身分制度がどうのうこうのうですかね?」で完結してしまうのだが、この清兵衛の周りでベリーアンハッピーな事がおきている。
清兵衛よりも不幸な人間がたくさんいる。
まず、清兵衛の近くでいつもお供をしている下男。これは貧乏な清兵衛より明らかに生活水準が低い。と、なればその頃の農民の生活はいかがか?と想像してみると、映画の中では農民が皮と骨だけになって川に流れている。
そして大一番の見せ場である最後の決闘の相手は清兵衛より明らかに不幸であり、救いようがない。
彼の最後は暗闇で終わる。

その暗闇こそ、おそらく藤沢周平が表現していた時代の闇であり、その中を耐え生きる人間の強さと輝きが描かれていたのではなかろうかと原作を読んでいないミーハー心で思案しました。

なぜなら清兵衛の人間ドラマとしては映画で十分に描いており、「もう、ほっといてくれよう!」といわんばかりの清兵衛に降りかかる、身分が原因の理不尽な命令や掟の中で、ロミオとジュリエットさながら、侍ではなく人としての、むき出しの人としての恋愛表現には見ごたえ十分であり、あっさりと振られてしまう所も、大変納得で愉快愉快。

その他での見ごたえは、殺陣。
真田広之は日大芸術学部の殺陣同好会(だったかな?)の先輩で、あたしは四、五年前の日芸の文化祭でその時の代の殺陣を見た時のその迫力は凄まじく、感動に震え、その帰りに知り合いさんに挨拶に楽屋へ顔をだしたら、丁度真田広之が挨拶と激励をしていて、ありがたくもあたしもお言葉の端っこをいただいた覚えがあります。
さすが、学生の頃からの芸ならもう玄人芸でしょう。

そして主演女優の宮沢りえですが、あの気品ある上質な雰囲気と立ち振る舞いは、まったく稀な才能の持ち主だと感嘆させられます。
事実、その気品が本物かどうか、作られた気品なのかどうか、あたしはこれこそはという気品を持った女性に今まで出会ったことが少なすぎる為、判断しかねますが、例え作られたとしても、あの緊張感には閉口します。
しかし、民放の為、途中のCMで流れてしまった「サントリー伊右衛門」の中ではモックンと懇ろになっているのには笑えました。

役者では清兵衛の下男のなおた役の役者はいつも面白い。無能の人など、見るたびに唯一無二の演技をしているのだが、名前が思い出せないのが残念。

そして、個人的に面白かったのはなんといっても、時代劇の面白さはその美術と演出で当時の文化を知るところでしょう。
自分の疎かな知識と照らし合わせ、その文化をまた肉付けしてゆくのは楽しいものです。
その文化の中で感動出来る映像美。それは凛と聳え立つ雪肌の東北の山々の美しい事。
時代は変わっても、その美しさだけは変わらないのでしょう。
それはきっと人間の美しさ、とか言うと綺麗に閉まります。
おやすみなさい。
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by under-heart | 2007-01-10 23:47 | at a loss