えへへへへ


by under-heart
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オレタチフューチャー

県の国立大学医学部で、学生による企業へのプレゼンテーションがありました。

製薬会社から町工場まで、中小企業、大企業含めてのその会は、医学部側から今後の医療の発展を見据えた「こういうものがあったら便利」商品の提案でした。

聞いた話を要約するに、
「パソコンへ『患者の年齢や性別』といった一般情報と、『患者の体質や体温、血圧』などの症状の情報を入れると、患者の病名と措置方法、適応する薬が表示されるソフトを開発していただきたいのです」

・・・・・。

医者いらねえじゃん?



「こんなこといいな。出来たらいいな。あんな夢こんな夢いっぱいあるけど」

アニメ「ドラえもん」の主題歌の一部です。
ドラえもんが生まれるのは22世紀ですからまだしばらく先の話ですが、藤子不二雄が夢見たであろう21世紀という未来にあたし達は生きているのです。

過去に夢であった月面に人類が到着し、結核に対する抗生物質が発見され、テレビ電話は普及し、クローンが誕生し、インターネットで世界と通じる事が可能となりました。
「医学部の学生達の考えはね、ドラえもんの道具を出してくれと言うような発想なんだよね」
と、あたしにお話してくれた方の声ですが、
これには二通りの解釈が出来て、

ひとつ目は、ドラえもんの道具を作る事を真面目にプレゼンテーション出来る時代になったと言う事。つまり、昔では夢物語だった道具が、技術の進歩により発明可能と思わせる域に時代が追いついて来たと言う事。

ふたつ目は、未来の想像図がドラえもんの域を超えていないと言う事。つまり、1970年に連載が始まって以来、時代は進み未来へと確実に歩んで来たが、あたし達の想像力はドラえもんを超える事が出来ないでいる、と言う事。

一つ目についてはポジティブな意見でよろしおますが、ふたつ目については大変に問題であろうと感じます。
今、この時代においても、想像する未来の世界が、

『円錐形のメタリックなビルが立ち並び、空中を縦横無尽に半透明の筒がぐるりと配置され、その中を卵型の乗り物がすいすいと進み、ツインビーの様な小型飛行機が飛び交っている。人々は宇宙服と呼ばれる、戦隊ヒーローのヘルメットを取った様な服を着て、プシューと音がする自動ドアの中に入ってゆく』

少なくとも、1970年には感じなかったリアリティーが、未来へのリアリティーが現代にはある。
その現代においても未来の想像図を改築しないのは(おそらく出来ないのか?)、ただの怠惰か逃避でしょう。

なぜ未来を夢見る事から逃避などする必要があるのか?
それは、21世紀の現実は思っていたより夢が無かったらです。

宇宙という遥かなる可能性に夢を託した輝かしい未来とは裏腹に、日本は日本のまま、ますます汚れ、資本主義に基づいて町並みが作られます。
不景気に煽られ不正問題が次々に発覚し、格差は一層深くなり、人と人との当たり前に見える関係は崩れ、家族殺人やいじめ自殺などが大きく問題視されています。

これでは、たしかに、30年前からの輝ける未来の姿を見据え、ドラえもんに夢を託し逃避している方が楽です。いつか、あんな未来がやってくるんだろうな、と。

しかし、それは正しい未来でしょうか?


司馬遼太郎が「21世紀に生きる君たちへ」という、小学生の教科書へ、初めて子供へ向けて書き下ろされた随筆があります。

その文章の中で、
「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。君たちは、ちがう。」


藤子不二雄が描いたドラえもんの未来、手塚治虫が描いた永遠の未来、大友克洋が描いた機会都市の未来、武論尊・原哲夫が描いた荒廃した未来、宮崎駿が描いた荒廃後の未来、水木しげるが描く死後の未来。


その現実を見据え、あたし達はどの様な未来へ進んで
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by under-heart | 2006-12-08 22:58 | at a loss