途方にくれてみる。
2006年 08月 31日
高地に住んでいるため、夜になると既に秋の気配肌寒く、
布団の中では両足の腿の間に両手を挟み、ちぢこまりて就寝するのですが、
そんな時のあたしはセンチメンタルに詩集などを開くのです。
最近は詩人、萩原朔太郎を再び読み返し、
その繊細な言葉使いに琴線を震わせている訳ですが、
先日、その琴線の糸をブチキル、ある「詩」との出会いがありました。
以下、
金持ち、金持ち、もち肌持ち
ぽっくんは歩く身代金
金持ち、金持ち、もち肌持ち
エッチな挨拶、そう、ともだちんこ
壮絶ではあるまいか。
皆様先生はご存知であろうか、これは一人称「わし」小林よしのり先生の原作、
「おぼっちゃまくん」というアニメの主題歌の歌詞であります。
つまり、こちらの歌詞は土曜日のゴールデンタイムに堂々と公共の電波に乗り、
お茶の間にサプラーイしていたという事実。
「歩く身代金て・・・」
十二分に危険な為、コメント出来ませぬが、
秋の夜風に吹かれ当時を偲べば、ギャグ漫画というものの表現の自由というものは
時代と共に移り変わる「もののあはれ」を感じずにはいられないものです。
簡単にあたしのギャグ漫画考察をします。
あたしがこの「おぼっちゃまくん」を読んだ時代は思春期手前の、
毎日が応接に暇あらざるがごとき新事実の往来で、なにもかもが面白い時期でした。
そのころのギャグ漫画と言えば上記作品をはじめ、「お下劣」。
その先端を走っていたと思われます。
あたしたちはいわば「お下劣ベイビーズ」と言った世代でしょう。
あたしら「うんち」で爆笑。
「ちんこ、うんこ、ぱーいぱい」
大爆笑。
人気少年誌のトップでは少女(サイボーグ)がウンチを片手に走り回ったかと思いきや、
ドラゴンボールでギャルのパンティー、お色気お下劣進化して、巻き舌の魔法使いが女性の裸体を透視させました。
その後、とにもかくにも画太郎先生、垂れ乳ババアは色気すらすべてをお下劣に昇華してしまいました。
他誌ではお下劣卓球部が人気を得ておりました。
それから世代は「シュール」なギャグ漫画へと路線変更したようです。
世間も目を光らせてきたのでしょう。
そこで、うすた先生や野中先生は現実を飛び越えました。
「笑いは批判の精神から来る」と聞いた事がありますが、納得し得るに十分です。
そして昨今の流行は「不条理」でしょう。
しかし、あたしはこの流行を個人的に好みません。
一コマ一コマの連続性が感じられず、下手なパッチワークを見ているようだからです。
そしてその面白味は、突っ込む台詞の「長さ」で全てをカバーしているからです。
しかし、それでもあたしはギャグ漫画を読み続けます。
だって、漫画、好きですから。
いつかその不条理を利用した良い漫画に出会えるかもしれな・・・
原点に戻りました。
楽しい漫画、笑う為の漫画。
不条理も飲み込み、お下劣も飲み込み、シュールすらも飲み込む、あたしが考えるギャグ漫画の原点。「天才バカボン」
天才にして馬鹿。
既に不条理。
生まれながらにして頭脳明晰。
しゅ、シュール。
いわずもがな、
お下劣。
なんでもありでした。
アナーキーでした。警官が錯乱してピストル撃ってました。
その警官、右目と左目が繋がってました・・。
しかも、派出所、私立だそうです。
犬が逆立ちは初歩、犬とうなぎの交配種が日本語をしゃべっていました。
奇形や遺伝子組み換えを常識とした世界。
表現としてタブーを取り払った世界。
物事の「認識」には、必ずある一定の「規定」や「規律」が必要である。
色を認識しないある民族にとって、この世は白と黒だけなそうな。
その規定を、この漫画は否定する。
受け取り側は何を理解し、何を得る事ができ・・
あ、そうか、
それでいいのか、
あはははは。
☆おまけ☆
11:3=B ←バカボンのパパ
布団の中では両足の腿の間に両手を挟み、ちぢこまりて就寝するのですが、
そんな時のあたしはセンチメンタルに詩集などを開くのです。
最近は詩人、萩原朔太郎を再び読み返し、
その繊細な言葉使いに琴線を震わせている訳ですが、
先日、その琴線の糸をブチキル、ある「詩」との出会いがありました。
以下、
金持ち、金持ち、もち肌持ち
ぽっくんは歩く身代金
金持ち、金持ち、もち肌持ち
エッチな挨拶、そう、ともだちんこ
壮絶ではあるまいか。
皆様先生はご存知であろうか、これは一人称「わし」小林よしのり先生の原作、
「おぼっちゃまくん」というアニメの主題歌の歌詞であります。
つまり、こちらの歌詞は土曜日のゴールデンタイムに堂々と公共の電波に乗り、
お茶の間にサプラーイしていたという事実。
「歩く身代金て・・・」
十二分に危険な為、コメント出来ませぬが、
秋の夜風に吹かれ当時を偲べば、ギャグ漫画というものの表現の自由というものは
時代と共に移り変わる「もののあはれ」を感じずにはいられないものです。
簡単にあたしのギャグ漫画考察をします。
あたしがこの「おぼっちゃまくん」を読んだ時代は思春期手前の、
毎日が応接に暇あらざるがごとき新事実の往来で、なにもかもが面白い時期でした。
そのころのギャグ漫画と言えば上記作品をはじめ、「お下劣」。
その先端を走っていたと思われます。
あたしたちはいわば「お下劣ベイビーズ」と言った世代でしょう。
あたしら「うんち」で爆笑。
「ちんこ、うんこ、ぱーいぱい」
大爆笑。
人気少年誌のトップでは少女(サイボーグ)がウンチを片手に走り回ったかと思いきや、
ドラゴンボールでギャルのパンティー、お色気お下劣進化して、巻き舌の魔法使いが女性の裸体を透視させました。
その後、とにもかくにも画太郎先生、垂れ乳ババアは色気すらすべてをお下劣に昇華してしまいました。
他誌ではお下劣卓球部が人気を得ておりました。
それから世代は「シュール」なギャグ漫画へと路線変更したようです。
世間も目を光らせてきたのでしょう。
そこで、うすた先生や野中先生は現実を飛び越えました。
「笑いは批判の精神から来る」と聞いた事がありますが、納得し得るに十分です。
そして昨今の流行は「不条理」でしょう。
しかし、あたしはこの流行を個人的に好みません。
一コマ一コマの連続性が感じられず、下手なパッチワークを見ているようだからです。
そしてその面白味は、突っ込む台詞の「長さ」で全てをカバーしているからです。
しかし、それでもあたしはギャグ漫画を読み続けます。
だって、漫画、好きですから。
いつかその不条理を利用した良い漫画に出会えるかもしれな・・・
原点に戻りました。
楽しい漫画、笑う為の漫画。
不条理も飲み込み、お下劣も飲み込み、シュールすらも飲み込む、あたしが考えるギャグ漫画の原点。「天才バカボン」
天才にして馬鹿。
既に不条理。
生まれながらにして頭脳明晰。
しゅ、シュール。
いわずもがな、
お下劣。
なんでもありでした。
アナーキーでした。警官が錯乱してピストル撃ってました。
その警官、右目と左目が繋がってました・・。
しかも、派出所、私立だそうです。
犬が逆立ちは初歩、犬とうなぎの交配種が日本語をしゃべっていました。
奇形や遺伝子組み換えを常識とした世界。
表現としてタブーを取り払った世界。
物事の「認識」には、必ずある一定の「規定」や「規律」が必要である。
色を認識しないある民族にとって、この世は白と黒だけなそうな。
その規定を、この漫画は否定する。
受け取り側は何を理解し、何を得る事ができ・・
あ、そうか、
それでいいのか、
あはははは。
☆おまけ☆
11:3=B ←バカボンのパパ
by under-heart
| 2006-08-31 01:01
| at a loss